ミッシェルの曲を落ち着いて聴けるようになってきた。ニコ動のコメントなんかでウルっとすることはあるけど。
今回の件の副作用でニコニコ動画を見るようになったなぁ。
そういえばロックって新しいものを全然聴いてなかった。ふと思ったんだけど、同時代に thee michelle gun elephant と Blanky Jet City がいたのが俺らの世代にとってある意味不幸なんだと思う。
今のロックを聴いても、頭の中にミッシェルがあるので「あぁ、グッドミュージック系の要素を持った良い音楽ですね」としか感じない。ロックだとは感じない。不感症だ。
ナントカロックって枕が付く音楽も好きな人にとってはそんな事ないんだろうけど、ロックンロール!っていう音楽が好きな人にとってこの 2つの存在は大きい。
別に俺のお勧めを知りたい人もいないだろうが、
『cult grass stars』『high time』『chicken zombies』の初期ミッシェルが好きだ。『gear blues』あたりからちょっとヘヴィでドロドロした音に変わってくるんでその前のものがいい。中期後期もいいけど当たり外れが出てくる。
ブランキーは枚数が多いのでベスト盤で。まず聴くなら黒盤ではなく『国境線上の蟻』。これを受け付けられなかったらブランキー自体聴かないほうがいい。とはいえ、社会人になるいい歳した人がこれを受け入れられたら頭がイカれてます(浅井健一の詞的な意味で)。リアルタイム世代に許された特権。俺はこの特権を享受できてすげぇ幸せだ。
上に挙げたものを受け付けずにミッシェル、ブランキーが好きだ、というのは「レッチリが好きです、一番好きなのは『Under the bridge』です」って言うようなもんだと思ってる。
ところで、大人になったせいか俺の地なのか、崇拝的に、盲目的に誰かを好きになる事ってなくて、あくまでも作品を好きになる事とその人を好きになる事は別の事柄。
だからチバが何をしようが浅井健一がなにをしようがミッシェルの曲もブランキーの曲も変わらず大好きだし、惰性で ROSSO や The Birthday の CD を買ってしまう事もない。
いいことなのかもしれないし、不幸な事なのかもしれない。
と、ロック原理主義者かよ!みたいな感じになってるけどそんな事もないです。あと人にもあまり勧めたりしない。学生時代の友人たちはヒットチャート至上主義の人ばっかりだったので懲りました。ミッシェルってちゃんと人気あるんじゃん、って実感したのは社会に出てからだったりします。
こんな感じで、いい加減ミッシェルのお話は締めにします。
最後に
22日の Blog では大人ぶって「無理に納得するなら」とか「ありがとう」とか書いたけど、納得なんかできねぇよ!ありがとうより、ちくしょぉぉおおおお!って言いてぇよ!ちくしょおおおお!