2013/10/15(火)ぜん といふものを かんがへる
例えば、己は猫の魂であるかもしれない。
猫の魂が人に宿ったとする。
魂が宿る、というと、人の形のまま猫の習性をもつような物語は世の中に沢山ある。
しかし、実際に魂が宿るということがあれば、そうはならないだろう。魂は猫だけれど、考える脳は人のものだ。操る体は人のものだ。生理現象も人のものだ。
知能は脳にあり、それを得た猫の魂は人と同じようにものを考えて、人と同じ嗜好を示すだろう。
人の体につながった猫の魂は、生まれながらに与えられたその体を人であるのと全く同じように自在に操るだろう。
生理現象や代謝が人のものなのだから、食や生活習慣も人と同じものになるだろう。
それはつまり、人である。
しかし、人ではないのだ。
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KVMとかBHyVeって、OSがあってその横というか上にモジュールがあってハイパーバイザーが実装されてるわけじゃん?
Xenって、Dom0がインストールされた時はOSが一番下にいたのに、Xenをインストールして再起動したら、実はXenが先に起動していて、Dom0はXenの上にいるわけ。実は仮想マシンなわけ。
でも、Dom0からは生のHWが見えてるし、操作もまるでDom0が行ってるようにしか見えないから、Dom0に触ってると仮想マシンだなんて全然わかんないよね。
っていうのを、禅っぽくメタ化してみた。Xenだけに。
なに、つまらねぇ話でさ。