2015/03/23(月)もうすぐ10か月

煙草をやめてもうすぐ10か月。

なんだか、喫煙者の立場がどんどん弱くなっているのが気になる。
罪悪ではないので、もう少し、吸いやすい環境も必要じゃないだろうか。

なんでもそうだと思うんだけど、強制する場合、強制できるだけの整備がないと失敗するじゃない。
「ルールを定めました」に続いて、「ルールを守れるための施策を実施します」がないと無理じゃない。
「自転車が左車線の路側帯以外の場所を走行したら例外なくしょっ引きます」とか困るじゃない。

「路上禁煙です」なら、「ここで吸えます」が現実的な数必要。自分が喫煙していたころは、お茶の水がすごく過ごしづらかった。駅のそばの喫煙所が撤去されて、三省堂の喫煙所がなくなって、開かれた喫煙施設は無くなっていた。
当時はお茶の水が特別に喫煙者に厳しい街だったけど、今、そういう街が増えているように思う。

実感することは残念ながらできないけど、ふと、以前は広い喫煙所だった場所がなくなっていたり、建物や庇で施設になっていたものがなくなっていたりすることに気付く事がある。「あれ?ここが無くなったらどこで吸うんだろう?」と思う。
これじゃあ、喫煙者は路地裏の路上で吸うしかないんじゃないか? いちいち喫茶店に入っていたら懐がもたない。
喫煙者が2割を割るって事で席数の少ない飲食店は喫煙席を設けなくなるだろうし、嫌煙が盛り上がるほどに公共の喫煙所って必要じゃないか。本当に副流煙や間接喫煙を嫌うなら、無くすのではなく線を引くべきではないのか。

喫煙者が嫌煙に反論するときによく言うけど、煙草には多額の税金が掛かっている。多分、一日ひと箱買えば月1万円近くは税金なんじゃないかな。この税金は、喫煙者の医療費を埋めるのに足りないほどなのかな。喫煙施設を作ったり、せめて自販機コーナー的なものを民間に誘致するくらいの原資にならないのかな。

無理だとわかった上で締め付けて無理難題を吹っかけてあげつらうような、警察のネズミ取りのような卑劣さをずっと感じてる。


なお、自分自身は、少し前までは何かのきっかけで吸うんじゃないかと自分を疑っていたけど、今は、多分もう吸わないんじゃないかな、という程度に自信が向上してきた。
たまに街中や喫茶店に漂う紫煙は、いまだに良い薫り。